2011年2月22日火曜日

見方を変える

前回の‐読書は義務!?‐で尊敬できる先生の話なんてしましたが、学校は嫌いでした。
これはもう、分かる人には分かるし、分からない人には分からない。
ちなみに勉強が好きか嫌いかと言われれば、一概に嫌いとは言えません。

さて、嫌いなものを前にして人はどうするのか。
読みたくないものは読まない、見たくないものは見ない、やりたくないことはやらない。
多くの人はそうすると思います。

しかしながら、嫌でも何でもやらないといけないことは当然出てきます。
そこで、「好きなことしかやるつもりがないとしたら、好きになるしかない」と言うのは養老孟司さんです。
養老さんは医学部卒(専門は解剖学)の理系の人で、ベストセラー『バカの壁』等多数の著作があります。

「好きになるしかない」なんてそれじゃ問題は解決しない、と思う人もいるかもしれません。
でもこの言葉は私の物事の捉え方、見方を変えました。
好き嫌いというものは生まれつき決まっているものではなく、その時の自分の状態、気分で変わるいい加減なものだということを気づかせてくれました。

養老さんは、そもそも自分は常に変化し続けると言います。
世界が変わるのではなく、自分が変わるから世界が違って見えるのだ、と。
だから「自分探し」なんてものはしたってしょうがないのです。常に変化しているのですから見つかりっこありません。
この考えを知った当時(高校生のとき)、折しも某マンガにて学生が自転車に乗り「自分探し」の旅に飛び出したときでした…。

あと、「個性」という言葉に対する姿勢も変わりました。
「個性」は心にあるのではなく、身体にあるのだというのです。
身体はなにもしなくたって人それぞれ違います。スポーツ選手が代表例で、簡単に真似できません。
一方、心に「個性」をもつ人は極端な話、精神病棟行きです。
むしろ心は他のひとと共通であるべきなのです。
つまり、他人の痛みが分かるということ、感動を共有できるということ。
そういう風に考えると、世の中で叫ばれる「個性」や「独創性」はどうやらピントがずれているようです。


「自分」だとか「個性」だとかの考えを初めて知ったとき、目から鱗でした。
それと同時に、焦ったり悶々としていた自分の気持ちが随分と軽くなったのを覚えています。


うーん、それにしてもまだまだ養老さんの言っていることを消化しきれてないなあ。
養老さんの文章、考えは簡潔・明瞭です。おもしろいです。オススメします。


ほん和か文庫には『解剖学教室へようこそ』があったような。
図書館にも『こまった人』『まともな人』『ぼちぼち結論』(中公新書)、『養老孟司の「逆さメガネ」』(PHP新書)等々、たくさんあるのでぜひともチェックしてみてください。

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